2009年6月20日土曜日

距離感


わが子其々と山歩きして感じる事は、Culture、Ivor、Moeと私の間には其々の距離感がある。
つまり、私から離れる距離と連絡のタイミングである。
離れる距離の長短だが、河川敷や公園では観察できなかった其々の特徴が見えてくる。
その特徴が、弱みであったり強みであったりする。
総合的に優劣はつくのだろうが、山歩きでは、臭いを捕まえたら一直線にターゲットに走り込める集中力と瞬発力、そして私より前が歩ける子なら、其々の弱みをカバーしてやり、強みを生かしてやればよい。
鳥を飛ばした経験のないIvorとMoeだが、経験さえすれば、自分の距離感をつかんでくれるだろう。
それが出来るのも鳥探しの魅力の一つだと思うようになった。

この距離感、私の心地良い距離感は、Cultureとの距離感である。
これは、Cultureに、私が慣らされた距離で、何故かその距離感に従っているのが一番心地良い。
この距離感をIvorやMoeに要求しても無理であるし、教えられるものでもない。
つまり、Ivor、Moeの距離感を、私が受け入れて歩くしかない。
そして、ヤマドリに出会うことで、私がどの様に動けば良いかを犬達が学習させてくれるだろう。

こう考えると、居るのか居ないのかを見極めるハンドラーの眼力も含めた自然鳥との駆け引きには醍醐味がある。